別にボランティアしなくてもいいし、別に電車で席を譲らなくてもいいし。

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日本というか人間社会で生きていて、よく感じるのは、(一般的に多くの人が思う)良いことを全員に強制するような気があるっていうこと。

私は、ボランティアについては特に何も思うことはないけど、
電車で席を譲ることについては、『う”っっっ』って思うときがたまにある。

ツイッターかフェイスブックかしらないけど、
電車で席を譲ったっていう話や寄付を行ったって言う人は多いから、私の少ししかない良心が痛んでいるだな。。。

でも、私はちょっと嫌だなって思うくらいならやらなくていいと思う。

今日の帰りの電車でなんとか座れてぼけーっとしていると、目の前にご老人が…、
「あ〜。なぜここに来るのか!私よりももっと譲ってくれそうな人おるやろ。あと30分は乗ってるんだが…」
と、とっさに思ってしまった自分が駄目人間のように思えて嫌になってしまった。
そうして、席を譲れないでいると、老人は他の席が空いたので、そこにさっと移っていった。

次に現れたのは子供連れの母親。歩いている子供+子供をおぶっている状態で、私の中の世間一般の良心を持っているマンが「席を譲るべきでは?」と言っていた。
そのうえ、子供が偶然空いた私の隣の席に座ったので、母親からの「譲ってくれ」という思いを私はなんとなく受け取っていた。

しかし、今日は本当にいろいろと限界だった。
以下は、母親から送られてくる念と私の心の叫びのやりとりである。
母親(席譲って)
私(長時間勤務してるけど、めっちゃ税金取られて手取り少ないし、まじで貧困!)
母親(席譲って)
私(年金も子ども手当もねぇし、実家は貧乏で会社クビになったら、文無し!)
母親(席譲って)
私(結婚してないから、経済的な支えもなく死ぬ!)
母親(席譲って)
私(あたいが、一番社会的弱者だよ!)
おわかりいただけただろうか?心の限界時には、他者からの無言の圧力は通じないのである。
そして、↑のようなやりとりを繰り広げて席をゆずったところで
私には何が残るだろう?
多分、席譲れてよかった☆なんていう、善人のマインドなんてなかった。
ただただ体の疲れと心の疲れでいっぱいいっぱいの自分だけだったと思う。
結局、別の席が空くのを見た瞬間、私は即そこの席にうつって、
母親と娘は晴れて隣の席にすわることができた。

もちろん、毎日こんなんではない。元気なときは、さっと席を譲ってしまう日もある。
でも、しんどいときはできない。「譲ったほうがいいんでは!?」っていう自分の中の善人的な思考と自分の今の欲求が戦って、善人思考のほうが負ける。

自分の負担になるのに、他の人を助けるなんて、まだまだ未熟でできないし、他の人も
助けるのは余裕があるときでいいと私は思う。
日本には、常に他者や集団を優先しろっていう圧力が強すぎる。
本当に辛いときは、一般的な良い行いよりも
自分を大切にするほうを優先してほしい。

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YAMAHA

投稿者: YAMAHA

仕事・趣味・美容の三点を爆裂に頑張る女子のブログ。 会社や社会に対してキレがちです。

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